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回遊ニンゲン

映画・演劇・本のレビュー
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「二人の約束」(パルコ劇場)


*ネタバレあります。

劇場に入ると、すぐに凝った舞台セットが目に眼を惹きつけられました。
古美術商をやっている家の茶の間であることは容易に分かりましたが、
いったいどんな話なのか…。

今回のお芝居は、3人芝居。
中井貴一さん、段田安則さんというベテランの素敵なおじさまたちに、
これが初舞台というりょうさんが加わり、期待に胸膨らませつつ客席に座りました。
開演直前の「携帯電話の電源をお切りください…」のアナウンスも中井貴一さんでしたが、こちらはカミカミ…。けいちゃいでんわって…。

コミカルな音楽でお芝居は始まり、中井貴一さん演ずる小太郎が登場。
携帯電話でオチアイさんと売り物の「竜の尻尾のかけら」についてやりとりしています。
この一人芝居がのっけから客席の笑いを誘います。
ドラゴンズファンの私は、このオチアイさんと「竜」を引っ掛けたやりとりでついついニヤついておりました。

そんなさなか、家のなかを伺う何者かが塀の上に…。
その後、叫び声とともに激しく落ちた音がします。
舞台暗転後、シーンは朝。
茶の間にはなぜか塀から落ちた男(段田安則さん)が布団で寝ています。
茶の間に入ってきたのは、小太郎の幼馴染でよく出入りしているめぐみ(りょうさん)。男は寝ているふりをしようとしますが、めぐみのちょっかいで仕方なく起きます。
男の名前は大作。しかし大作は記憶喪失になっていて、なぜこの家にやってきたのか、思い出せません。小太郎はめぐみから大作が記憶喪失になったことを聞くとなぜか喜び出します。世界中旅をして骨董品などを買いに回る小太郎は、どこの国で聞いて来たか、記憶喪失の人に出会うと幸せになる、という言い伝えを思い出し、大作に大げさすぎるほど手厚く世話をするようになります。このあたりの三人のやりとりがテンポよく、動きも面白くて大爆笑でした。ボケる小太郎、真面目に答える大作、そしてツッコむめぐみ。
めぐみは大作に不信感を抱きますが、小太郎は大作をしばらく家に泊めることにしました。ここで、小太郎は大作と約束をします。
大作の記憶が戻ったら、どうしてこの家に来て塀の外からこの家を伺い見ていたのかを話すこと。

小太郎は40過ぎてまで独身、立ち退き間近の家で立ち退きの時期を延ばしてもらってまで住んでいる理由は…。
大作の素性は…、ここで物語の核心に迫っていきます。

小太郎が独身を押し通しているのは、子供の頃、この家の庭の木の前で幼馴染のジュンコとした約束を守るためでした。それは、30年後の冬の日に埋めたタイムカプセルを掘り出し、結婚すること。

めぐみはある日、庭の塀のあたりで大作のかばんを見つけます。中にはアルバムと小さなスコップが入っており、めぐみは大作が何者なのかを悟ります。一方、大作の記憶もどんどん蘇っていき、ついに小太郎に何も言わずに出て行ってしまいます。

やがて、小太郎とジュンコの約束の日がやってきました。
誰かがやってきますが、ジュンコではなく、…それは大作でした。
大作は、自分がジュンコの夫であったこと、ジュンコはもう亡くなってしまったこと、ジュンコが亡くなる間際に小太郎との約束を話したこと、ジュンコの代わりに大作がタイムカプセルを掘り出そうとしたこと、すべてを打ち明けました。
小太郎は話を聞いて落胆しましたが、大作と共にタイムカプセルを掘り出します。

終盤の小太郎の落胆ぶり、泣きながら洋服を着たままコタツで朝まで寝てしまうシーンが強く印象に残りました。中井貴一さんのメリハリの利いた演技は、喜び・楽しみと悲哀が表裏一体に存在するもの、という感覚を私に植え付けたような気がしました。

りょうさんは初舞台とは思えないほどテンポのいい演技でした。二人のオヤジに絡む女性の感じが巧かったし、テレビで見るクールな役とは違った新しいりょうさんのイメージが生まれました。

段田安則さんは、記憶喪失になってしまうところや小太郎の世話になりつつも頼っておきたい、というような複雑な役回りを自然に演技されているように見えました。小太郎のボケとめぐみの厳しいツッコミを和らげる緩衝材のような台詞回しもさすがでした。

楽しい2時間余をどうもありがとうございました。
Posted by paprikasoup
舞台 / 10:07 / comments(11) / trackbacks(0)
「ムコウカタ」(新宿THEATER/TOPS)


劇団ちからわざの公演「ムコウカタ」千秋楽を観てきました。
話の舞台は、人を傷つけ殺める者たちが住む島。
海のムコウカタには、争いのない場所がある。
ムコウカタに憧れを抱きつつ暮らす島の人々の群像劇でした。

「人の命は地球よりも重い。だから戦う価値がある」

と言いながらも結局、悪の命を奪わなければ人の命を守れないという、この世の中で解決できそうでなかなかできない問題を真に感じた作品でした。

役者の皆さんは台詞回しのテンポもいいし、アドリブもきくし、間が絶妙だし、うまい人たちばかりでした。

1回目のカーテンコールで拍手が鳴り止まず、殺し屋のウオズミ役を演じた作者・座長の佐藤二朗さんが2回目のカーテンコールでも出てきてくれました。佐藤さんは感極まって涙が溢れ、「こんな拍手を頂いたのは初めてで…、本当にありがとうございました」というのが精一杯でした。一生懸命素敵なお芝居を作り終えて、いろいろと感じるところがあったのでしょうね。これからも劇団ちからわざ、注目していきたいと思います。
Posted by paprikasoup
舞台 / 00:10 / comments(0) / trackbacks(0)
「空白に落ちた男」(ベニサンピット)


台詞のないお芝居。
そんな印象でした。
首藤康之さんといえば、クラシックバレエ。
そのイメージしか持たずにこのパフォーマンスを観ました。
首藤さんとマイムパフォーマンスの小野寺修二さん他3人のマイムパフォーマーが繰り広げる現実と幻想世界の表現。
計算し尽された寸分の狂いもない動きが私の瞬きを止めました。
小野寺さんの表情も計算し尽された動きの一部だったのか…と思わざるを得ないタイミング。私はいまだかつてこんなリズム感のある緻密なパフォーマンスを観たことがありませんでした。
舞台美術もかなり秀逸。
3次元の閉鎖された空間が6面体であることを想定し、観客側の1面を除いて残り5面を有効に利用した舞台セットが目を引きました。

もう一度観に行きたいと思えるパフォーマンスです。

Posted by paprikasoup
舞台 / 22:36 / comments(0) / trackbacks(0)
「十二月大歌舞伎」(歌舞伎座)


十二月大歌舞伎の夜の部を見に行って参りました。九月歌舞伎のときよりも着物姿のお客さんが多かったように見えました。歌舞伎座の向かいにある岩手県のアンテナショップで美味しそうな海鮮弁当を買い、イヤホンガイドを借りて席につきました。演目は、「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」「粟餅」「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の3本。古典、舞踊、現代といったところでしょうか。

「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」
流刑となった菅丞相の旧臣、武部源蔵(市川海老蔵)は、自身の寺子屋に菅丞相の子供、菅秀才を匿っているのですが、頭の痛いことに菅秀才の首を差し出さなければならない危機に陥ってしまいます。そんな夫の気持ちをなだめようと妻の戸浪(中村勘太郎)は、つい先ごろに寺子屋に入った小太郎と源蔵を引き合わせますが、源蔵は他の寺子屋の子供たちとは異なり礼儀正しく賢そうな小太郎の雰囲気になにやら気持ちが決まったようでした。やがて、菅秀才の首実検役である松王丸(中村勘三郎)と玄蕃(片岡市蔵)が寺子屋にやってきたので、源蔵と戸浪は菅秀才を押入れに隠します。寺子屋の子供たちがひとりひとり呼ばれ、首実検が行われましたが菅秀才と思しき子供はいませんでした。そこで、怪しんだ松王丸と玄蕃は寺子屋の中に入ってきて、源蔵に菅秀才を差し出すよう迫ります。観念した源蔵は、ついに寺子屋の裏で小太郎の首を打ち、首桶に入れて松王丸に差し出しました。松王丸は菅秀才の顔を知っているはずなのですが、首桶のなかの首を見るなり菅秀才のものだと言います。これを見て、玄蕃は早速首桶を持って去っていきました。その後、小太郎の母、千代(中村福助)が寺子屋に現れたことから、小太郎は実は松王丸の子供であることが分かります。なんと、松王丸は源蔵の気持ちを察して、首実検の直前に我が子、小太郎を寺子屋に差し向けたのでした。

なんて悲しい物語なんでしょう。歌舞伎の演目のなかには、よく子供の首を差し出す、というくだりが出てきますが、特に母親役の女形のさめざめと泣く姿に思わずもらい泣きしそうになってしまいます。勘太郎さんの女形は初めて見たのですが、スッとか細くて、図太い感じの海老蔵さんにピッタリの妻でした。松王丸の勘三郎さんには、貫禄とメリハリを感じました。とても難しい心情を持ち合わせる役回りだと思うのですが、話が進んでいくうちに、私自身が松王丸の気持ちにどっぷり浸かってしまった感じです。

「粟餅」
坂東三津五郎さんの杵造と中村橋之助さんの臼造が、粟餅を売りに江戸の街へやって来て、にぎやかに踊ります。粟餅売りの姿で、小柄な杵造とスラッと背の高い臼造の息がぴったりで、舞台は明るい雰囲気でした。できた粟餅を丸めて投げるところや、団扇を太鼓にして踊るところが面白かったです。短い演目ですが、1本目と3本目を繋ぐ、良き清涼剤でした。

「ふるあめりかに袖はぬらさじ」
有吉佐和子さん作でもとは文学座で公演していたものだそうです。玉三郎さんは、歌舞伎役者でこの演目をやりたかったのだそうで、ついに念願かなってこの十二月大歌舞伎での実現となりました。

時は文久元年十一月、横浜の遊郭、岩亀楼の遊女、亀遊(中村七之助)は病気で行灯部屋に伏せていました。芸者のお園(坂東玉三郎)は、亀遊に世話を焼いたり話し相手になったりしていましたが、やがて、岩亀楼の通訳、藤吉(中村獅童)と恋仲になっていることを知ります。
翌年二月、岩亀楼の座敷にアメリカ人のイルウス(坂東彌十郎)が薬商人の大種屋(片岡市蔵)とやってきます。岩亀楼の主人(中村勘三郎)は、藤吉を通訳にしてイルウスの相手の遊女を決めようとします。外国人を相手にするのを専門にしている遊女たちを引き合わせますが、イルウスは気に入りません。無理やりマリアという遊女(中村福助)をあてがいますが、あまりの迫力に!イルウスはびっくりしていまいます。一方、大種屋は、日本人専門の遊女、亀遊の相方としてやってきますが、イルウスは亀遊に一目惚れし、亀遊を買おうと言い出します。藤吉がイルウスの通訳している様を見るなり、亀遊は具合が悪くなってしまい部屋に戻っていってしまいました。岩亀楼の主人は、亀遊を身売りする話を進めようとしますが、そんなさなか、亀遊は藤吉との叶わぬ恋を悟ったか、自ら命を絶ってしまいました。
異国人を拒んで命を絶った亀遊の話は瓦版にもなりますが、攘夷派の思惑か、アメリカ人の相手を拒み、親から引き継いだ懐剣で自害し、辞世の和歌を詠んだ、とされてしまいます。お園は、亀遊の噂を聞きつけてやってくる客たち(市川右近、市川海老蔵、河原崎権十郎)に、自分は一部始終を見た、と劇的に且つ活き活きと語るのでした。一方、藤吉は医学の勉強を究めるためにアメリカへ経つため暇をもらおうとしていました。
時はさらに5年経ち、攘夷派の思誠塾塾生たち(坂東三津五郎、中村橋之助、市川門之助、市川段治郎、中村勘太郎)が、塾長、大橋訥庵の命日あたるこの日を攘夷女郎の亀遊が命を絶った岩亀楼の部屋ですごそうとやってきます。例によって、お園は亀遊の列伝を熱く語るのですが、度が行き過ぎて塾生たちに矛盾を指摘され、お園は逃げ出しますがすぐに捕まってしまいます。しかしながら、亀遊の辞世の和歌とされた「〜ふるあめりかに袖はぬらさじ」は、お園がかつて吉原にいた頃に大橋訥庵から聞かされたものであったため、彼らはお園を斬る代わりに、金輪際、お園が亀遊の話をしないよう口止めします。彼らが去っていき、お園はやけになってひとり酒を煽っているところで幕は下ります。

最後のお園の切ない感じ、玉さま最高です。玉さまと勘三郎さんのコミカルな掛け合いもさることながら、大爆笑してしまったのは福助さんの遊女マリアたらーっあの迫力はイルウスもそりゃ引くわぃ、と思いましたねぇ。七之助さんの亀遊は、病弱感が出ていてうすら綺麗な感じ。幽霊話なんかの女形も見てみたいです。そして、岩亀楼にやってくる客人たちを演ずる役者の豪華なこと。チョイ役で右近さんとか海老蔵さんとか出てくるんだもの、まさにオールスター歌舞伎でした。
Posted by paprikasoup
舞台 / 22:43 / comments(0) / trackbacks(0)
「遍路」(紀伊國屋ホール)


*ネタバレあります。

劇団、本谷有希子のお芝居は今回で2度目。
人がめったに表には出さないけど持っている感情を、敢えて表に出していく、という表現をお芝居に求めているのかな、と以前観たときには思いましたが、今回はどんなかなぁ〜と胸を膨らませ、紀伊國屋ホールのある4階まで階段を上りました。

舞台セットはよくある家の玄関、和室、リビングダイニングキッチン。
あれあれ、タイトルは「遍路」だけど???どんなことが始まるのかな、と思いを巡らせていたら、携帯電話で話しながら大きなスーツケースを転がすワカツキ(馬渕英理可さん)が出てきました。この家は、ワカツキのおばさん(池谷のぶえさん)やいとこ達が暮らす家。それに、お遍路さんの通り道でもあります。ワカツキの父、ムネオ(近藤芳正さん)も遍路のためにやってきました。実は、この家にはワカツキを可愛がってくれた祖母の仏壇があって、ワカツキは、女優の仕事が多忙だったせいで祖母の葬式に出られなかったことを口実にこの家へやってきます。本当は、父ムネオに重要なことを伝えるためだったのだけど…。

ムネオの反対を押し切って東京へ出て女優でやっていこうとしていたワカツキでしたが、所属の劇団のゴタゴタもあって田舎に帰って家族と暮らそうと考え、この機会にムネオにそれを伝えようとしたのですが、都会で暮らしているうちに、田舎や田舎に残る人たちの暮らし、会話が薄っぺらく思えるようになってしまいます。都会に住んでいることによって田舎を上から目線で見てしまう感覚って、一体何なんでしょうね。私にもそういう感覚を持った覚えがあります。身の程知らずというか、自分は都会で洗練されてるんだ、という勘違いに近い感覚、一度どん底に落ちて初めて気付く、なんてことがありました。

馬渕さんのキレッぷり、ここまで思いっきり泣き叫ぶことができたらどんなに気持ちいいんだろ、と思ってしまいました。近藤さんと馬渕さんの親子コンビを見ていると、近藤さんがいるせいか、「中学生日記・大人版」みたいな感じがします。ハチャメチャなムネオだけど、どうにかしてワカツキを「まとも」にしようといろいろ画策するところ、子供への愛情を感じました。でもなんでワカツキさん、ってさん付けで呼んでるの?媚びてるから?腹違いの親?ん?ちょっとその関係性も気になりました。

最後は結局、「まとも」に田舎に適応できずじまいなんだけど、うまくいってチャンチャン、ハッピーエンドで終わってくれないところが本谷有希子さんなんだろうなぁ。

私はみかんの皮や筋をきれいに取ってくれるおばさんが好きです。
Posted by paprikasoup
舞台 / 23:10 / comments(0) / trackbacks(0)